プロローグ
おこがましいが、自己紹介がわりに、自分のことを少し書こうと思う。
若い頃、生きるのが困難だった。
何者かになりたい。
いまの自分から遠く離れた、どこか別の存在に。
その一方で、
「自分は自分だ」と自分に言い聞かせながら、
誰にも馴染めない学校へ通っていた。
理想の自分と、現実の自分。
理想が何かもわからぬまま、
そのギャップに苦しみ、禅問答のような日々を繰り返す。
あの頃は、まさに地獄だった。
私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを
生きてみようと欲したにすぎない。
なぜそれがそんなに困難だったのか。
ー ヘルマン・ヘッセ『デミアン』
まさにこんな感覚だった。
あがり症もひどかった。
(いまでも人前で話すのは苦手だが、だいぶマシになった)
人前に立つと顔が真っ赤になり、
汗が止まらない。
そんな自分を恥じて、ひたすら隠して生きていた。
どうしたらあがっているように見えないか。
平然と、スラスラ話せるようになるのか。
そればかり。
話の中身や人に伝わったかなんて、
1mmも気にすることなく。
社会人になって20年以上。
ようやくひとつのことが、頭ではなく腹で理解できた。
自分は、自分のことしか考えていなかったのだ。
人の悲しみも、痛みも、苦しみも、
喜びも、有り難みも、
視野に入っていなかった。
ただ、自分がどう見られているか。
そればかりを気にしていた。
あがり症を克服した佐藤健陽さんは、
あがり症を「消極的な自己中心」という。
まさにその通りだと思う。
人の目を気にし、評価に縛られ、
誰も見ていないのに、まるで囚人のように生きる。
そこには滑稽さすらある。
そんな自分が変われたのは、
古家投資と柔術のおかげだ。
(もちろん、自分が変わるにはいろんな要素があるのだけれど、
この2つが大きいということだ)
そこには、いつも「人」がいる。
不動産であれば、
売る人、買う人、仲介する人、直す人、住む人。
多くの人が関わり、その中に自分もいる。
手触りのある投資。
だからこそ、自分はこれが好きなのだ。
柔術も同じだ。
相手がいなければ成立しない。
ほんのわずかな技の差で、形勢は簡単にひっくり返る。
その技を仲間とともに研究する時間は、
他者とつながっている実感と、確かな幸福感を与えてくれる。
前半の人生を振り返ると、
どれだけ自分中心だったのかと思う。
何者かになろうと足掻きながら、
人の視線から逃げられず、疲弊していた。
でも、いまは違う。
古家投資と柔術を通じて、
自分に戻ることができている。
どんなにかっこ悪くてもいい。
自分に戻ることこそが、いちばん強い。
もう「何者かになろう」とは思わない。
そもそも“何者か”とは何なのか。
他者の視点の中で理想像を追いかけることは、虚しい。
いまでは、スティーブ・ジョブズの言葉がよくわかる。
あなたの時間は限られている。
だから、他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。
それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が、雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。
そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。
それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。
このブログで伝えたいことは、ひとつだけ。
自分に戻ろう。
ライフリビルダー(人生の再構築者)になろう。
それだけだ。

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